「俳句・ハイク」名句選

名句選

自句選

「愛好10句」ウィリアム・J・ヒギンソン(俳号:緋庵)抄出 日本語訳:橋本圭好子

清瀧や波に散り込む青松葉 芭蕉 (1644-1694)
蝶々や何を夢みて羽づかひ 千代尼 (1703-1775)
清瀧や波に散り込む青松葉 芭蕉 (1644-1694)
天目に小春の雲の動きかな 菊舎尼 (1753-1826)
火の奥に牡丹崩るるさまを見つ 加藤楸邨 (1905-1993)
さや豆の指につめたき朝をつむ 亀谷チエ (1909-1994)*
たてよこに富土伸びてゐる夏野かな 桂信子 (b. 1914)
煮凝やいつも胸には風の音 石原八束 (1919-1998)

Elizabeth Searle LAMB

deep in this world
of Monet Water lilies. . .
no sound

エリザベス・サール・ラム (b.1917)

モネの「睡蓮」の
この世界の奥深く
音もなく

モネの「睡蓮」の世界の奥や音もなし(緋庵訳)


Geraldine Clinton LITTLE
 

the lake sways
in its skin of shadows
just before sundown

ジェラルディーン・クリントン・リトル(1924-97)*

湖が揺れる
湖の影の皮膜に包まれて
日没寸前に

夕日影湖の皮膜のゆらぎけり(蕉肝訳)


Cor van den HEUVELb
 

snow
on the saddle bags
sun in skull

コー・ヴァン・デン・フーヴェル(b. 1931)*

雪は
鞍袋の上に
髑髏に日

雪は鞍袋の上に 髑髏に日(緋庵訳)

短評:さや豆の指につめたき朝をつむ 亀谷チエ

 亀谷(かめがや)チエは東京で学んだ後、日系カナダ人と結婚してカナダに移住した。第2次世界大戦中は、夫と引き離されて、ブリティッシュ・コロンビアの奥地の収容所に強制収容された。戦後、チエは日系カナダ人2世に日本語を教えるなど、幾つかの職に就いた。この句は、チエの1994年出版の、日英2ヶ国語の小句集『ニューデンバーの四季』からとった。この句の物に触れた時の強烈な感覚―さや豆の手触りや冷たさ―と、みなぎる力が印象的である。苦境にありながら、自分と夫の生計を支えた、英語で言うとplucky即ち、強い女性であった。

短評:夕日影湖の皮膜のゆらぎけり ジェラルディーン・クリントン・リトル

 友人達の間では、ジェリイと呼ばれていたが、ジェリイは、40代半ばになって詩を書き始めた。彼女は、数多くのハイク、ソネットや現代の自由詩を世に出し、同世代に於いてかなり著名な詩人となった。アメリカ詩歌協会の副会長を長年務め、アメリカ・ハイク協会の会長も務めた。この句は1989年に出版された彼女の句集『星図』からとったが、私は、夏の間、色々な湖で多くの時間を過ごしているので、思いだすが、湖の畔で経験される事を詠んでいる。日暮れる寸前に、静かな湖は、しばしば、一番活き活きと見える——鳥や魚や、他の動物達に拠って、ではなく、湖それ自体のことである。湖は、昼を脱ぎ捨て、夜へと静まり行くかの様な、動きをする。ジェリイの「湖の影の皮膜に揺らぐ」という独創的な表現が、まさにその感じを捉えている。

短評:雪は鞍袋の上に髑髏に日 コー・ヴァン・デン・フーヴェル

 此の句から、アメリカのハイクの初めての小句集の中の1冊である、1961年出版の『髑髏』の名が付けられたのであるが、此の句は、出版されてから約10年後に、コーがアメリカ・ハイク協会を経て我々の俳句仲間に入って来る迄は、ほとんど知られていなかった。コーはメイン州の田園地方で育ち、若い時にカリフォルニヤに行った。サンフランシスコ湾地区の、ノースビーチのビート派の詩人達の中で活躍して、都会と田舎の斬新なイメージを織り交ぜて、実験的な詩を書いた。この句は、1940年代、1950年代のアメリカの西部劇からのイメージを用いて作った数多くの句の中の一つであるが、初めて読んだ時から、私の脳裏に焼きついて離れないのである。2002年の12月に、英語のハイクで最も広く読まれている『ハイク・アンソロジー』の3冊の編集を続けてきた事も評価されて、コーは、正岡子規国際俳句賞を受賞した。しかし、私は彼と言えば、まず、彼が作った感動的なアメリカのハイクのことを、何時も、思い浮かべるのである。