「俳句・ハイク」名句選

名句選

自句選

「愛好10句」コー・ヴァン・デン・フーヴェル:抄出
日本語訳:橋本圭好子

静けさは栗の葉沈む清水かな 柳韻(d. 1690頃)
宵越しの豆腐明りに薮蚊かな 小林一茶(1762 - 1826)
雷晴れて一樹の夕日蝉の声 正岡子規(1867 - 1902)

John WILLS
ジョン・ウィルズ (1921-1993)

coolness
hemlock shadows flicker
across the boulder

涼しさ
カナダツガの影揺れる
岩の上

涼しさや岩に揺れゐるツガの影


Nicholas VIRGILIO
ニコラス・ヴァージリオ(1928-1989)

into the blinding sun
the funeral procession’s
glaring head light

夕日の中へ
葬列の
車のハイビーム

夕日へと葬列行くやハイビーム


Anita VIRGIL
アニタ・ヴァージル(1931-)

Quiet afternoon:
water shadows
on the pine bark.

静かな午後
水紋の影が
松に

午後静か水紋の影映る松


Marlene MOUNTAIN
マーリーン・マウンテン(1939-)

pig and i spring rain

豚と私跳ね回る春雨

豚と我跳ね回りをり春の雨


Alan PIZZARELLI
アラン・ピッツァレリ(1950-)

twilight
staples rust
in the telephone pole

たそがれ
ホチキスの錆
電柱に

黄昏やホチキスの錆電柱に


Michael McCLINTOCK
マイケル・マックリントク(1950-)

dead cat …
open-mouthed
to the pouring rain

死んだ猫 …
口開けて
しのつく雨に

口開けて猫死んでをり雨滴沱


Gary HOTHAM
ゲイリイ・ホッタム(1950-)

the library book
overdue ―
slow falling snow

図書館の本
延滞 ―
ゆっくりと降る雪

延滞の図書や降る雪緩慢に

鑑賞4句

John WILLS
ジョン・ウィルズ (1921-1993)

coolness
hemlock shadows flicker
across the boulder
涼しさ
カナダツガの影揺れる
岩の上

涼しさや岩に揺れゐるツガの影

この句で、ウィルズはアメリカの手付かずの自然の真髄を透明なイメージと切り詰めた言葉で生き生きと描き出している。この句によって、柳が水辺に生える様にカナダツガが水辺に生えることに気付かせられる。そこで、この句の涼しさが通常岩もある渓流から来るのだろうと気付く。 木の影が揺れると言うことで流れの涼しさが微風で運ばれることを告げている。揺れる影と、明らかに心地良い涼しさという事が、太陽の輝く夏の朝である事を示唆している。と同時に、生気を取り戻させ、鼓舞してくれるアメリカの手付かずの大自然からの情景も伝えている。そして、それは適切な歯切れ良い言葉で表現されている ― 此の効果を出している硬質なCとK音に注目してほしい ― 更に2・3・2の強勢をもつビート、即ち、太陽光線の揺らぎに呼応するリズムである。一行目の2番目の強勢は休止、切れ字とも言うものを生み出す下り調子である。言葉の響きは目に浮ぶ情景と共に心地良いものである。


Marlene MOUNTAIN
マーリーン・マウンテン(1939-)

pig and i spring rain 豚と私跳ね回る春雨

豚と我跳ね回りをり春の雨

萩原井泉水は、俳句は半分は俳人が創り、他の半分は読み手が完成する円であると言った。マーリーン・マウンテンはこの理論を極限の型で表した。俳句の円の唯10%位だけを描いてみせたのである。しかし、それは明敏な読者が残り350%を容易に補える示唆的な力がみなぎったものである。この句は広がって行き、春の到来と言う喜びの気持を起こさせるものである。俳人や読者が野のものも飼われているものも、あらゆる樹・花・動物や鳥と、冬の凍りつくつらさからの開放を味わう時分ち合う喜びの気持である。自然は豚で表されている。豚は日増しの暖かさ、雨の心地良い湿り、雨が降って潤った泥の皮膚感覚を楽しんでいる。想像力を駆使してこの句の円に表現されていない泥を補わないと、この句のユーモアも目指すものも解らないのである。ほんの数語で語りかける作者は、豚と感覚的喜びを ― 泥は想像してもらって ― 分ち合い、豚・雨・春と一体となる喜びを感じているのである。


Alan PIZZARELLI
アラン・ピッツァレリ(1950-)

twilight
staples rust
in the telephone pole
たそがれ
ホチキスの錆
電柱に

黄昏やホチキスの錆電柱に

アラン・ピッツァレリは最も有り得そうもない都会で大自然と人間性の調和を見出した。アメリカの都市で木の電柱は ― たとえ電話線がなくなってしまっても電柱と呼ばれているが ― 電柱や電話線が地下に隠れている大都会を除いて、何処にでもある代物である。人々はホチキスでこれらの電柱にポスターや通知を貼付ける。時が経つと、ホチキスがいまだ電柱に刺さったまま、ポスターや通知は剥れ落ちてしまう。無数のホチキスが溜り、季節の移ろいで雨や雪にさらされて錆びる。かって人間の目的に使われたこれらの錆びた金属片の完全な無秩序さと簡素さは、目を止めて注意して見る人々に古茶碗を見た時に得られるような侘びに似た感情をもたらす。黄昏に今は知るよしもないかっての人間のイヴェントの錆びた想い出の記録とともに、ペンキの塗っていない天然木の柱は寂に似た孤独と神秘性を持つ情景をかもし出している。


Gary HOTHAM
ゲイリイ・ホッタム(1950-)

the library book
overdue ―
slow falling snow
図書館の本
延滞 ―
ゆっくりと降る雪

延滞の図書や降る雪緩慢に

ゲイリイ・ホッタムの俳句は最少であるのみならず、大多数の俳句より控え目な表現で、平明である。一冊の本と自然現象との取合わせに感じる奇妙な調和は言葉に表しにくい。自らの時間の流れで雪を降らせる自然と、規則とタイム・リミットを持つ人間界の対比である。この俳人は本の返却にゆっくり自らの時間を使い、自然は季節と言う時刻表を持つと言う正反対の事がある。しかし、これ等の考え方は、外に降る雪と、読んで返されるのを待つ図書館の本も含め、全てが何となく調和して見える物憂げな冬の午後の生活体験の中に昇華されている。